「転ばぬ先の杖」とは、未然に危険を防ぐための準備や対策を指します。前もって用心していれば失敗することがないというたとえですが、「杖」を誰がどの程度準備するかで「失敗が成功の元」になるかならないかが違ってきます。
人間は、経験から様々なことを学びます。子どもだけではなく大人もそうです。また実際に自分自身が体験したことのないことからも学びます。歴史や古典を学ぶのにはまさにそういう目的があります。
経験には、成功もあれば失敗もあります。うまくいったことから学ぶこともありますが、どちらかといえば少々痛い目に遭った失敗の方が強い印象を持つことから、失敗から得られる経験の方が多いような気がします。
ノーベル賞を受賞した科学者が異口同音に「失敗してもあきらめずにやり続ける」と発信したり、先の「失敗は成功の元」という言葉があるのもうなずけるところです。
未然に危険を防ぐのが杖の役割ならば、役に立つ杖を作るためには何が危険で何が危険でないかを知っておかなければなりません。これが「経験」です。
的にボールを当てるゲームがあります。何度か繰り返してチャレンジしているうちに、力のいれ具合や腕の角度を学んで上手くなっていきます。
このゲームで、後ろ向きにボールを投げるルールがあるとしましょう。しかも1回ごとに的に当たったかはずれたかを投げた人がわからないようにします。
100回投げます。すべて投げ終わった後、10回的に当たったと結果を教えられたとして、それははたして何かにつながるものでしょうか。
目的達成に向けてなされる試行錯誤には意味がありますが、やみくもに行う意味を持たない行為は成功も失敗も偶然のことであって再現性は低いものです。
自分が持つ杖は自分自身の経験と想像にもとづいて自分自身が準備するのが望ましいのはいうまでもありません。想像がおいつかないような危険なものは年長者や経験者の力を借りる必要があることもありますが、多くの場合は、成長にともなってそれなりの「杖」を自作するようになっていきます。
失敗を恐れる生徒がいます。この気持ちの度が過ぎると、できないことやわからないことを隠そうとします。
「失敗しても良い。間違えても良い。適当に取り組んでの偶然のマルよりも、意識して意味を考えて取り組んだ失敗のほうがはるかに価値がある」ということを教室では何度も何度も訴え続けます。訴え続けることが仕事だといえるほど言い続けていますが、同じことを言われ続けなければならない生徒の気持ちになると少々気の毒になることがあります。
過去何回か塾報で触れてきましたが、そろばん教室は生徒の皆さんがたくさん失敗をする場所です。計算方法を学んだ後は検定試験や大会に向けての日常の練習で「そのとき持ち得ている最高のスピードで計算しつつ完全な正確性を保つ」ことを目標に取り組みます。口で言うのは簡単ですが、そんなことがいつもできるわけがありません。たくさん間違えては悔しい思いをします。
しかし、きちんと向き合った結果への悔しさは、必ず自分自身の「杖づくり」に生きてきます。指導者が先回りしてあてがう杖なんてものは、自分自身が作り上げた杖に比べれば中身はスカスカで一時的なものです。
誰かに教えてもらえる時間に比べて答のない問いに自分自身が真正面から向き合わなければならない時間の方がなんと長いことでしょうか。
教室では、「杖づくり」の準備や実践を行っています。生徒の皆さんが持ち合わせている杖の分量や材料はまちまちですが、それぞれの分量を増やし、材質を強くしなやかにするように取り組んでいます。私たちは教材を作り、練習内容を組み立て、具体的な指導やバックアップ、励まし、見守りなど、生徒の理解度、意欲、関心に応じて関わり方を決定していきます。
同じ失敗をしている生徒複数人に対して個々に異なる指導をする場合がありますが、間違いの発生に関わる知識量や意識に違いがありますから、同じ指導で乗り切ることはできません。生徒が杖を作る貴重な機会を画一的な指導で奪ってはならないのです。教室での取り組みはすべて将来への準備作業を目指しています。
「転ばぬ先の杖」。大切な言葉ですが、その意味は少々考える必要があります。過保護になりすぎることで、子どもの成長を妨げることもあるというおそれを忘れないようにしたいものです。