塾長ブログ

2026.05.27

転ばぬ先の杖(塾報5月号より)

 「転ばぬ先の杖」とは、未然に危険を防ぐための準備や対策を指します。前もって用心していれば失敗することがないというたとえですが、「杖」を誰がどの程度準備するかで「失敗が成功の元」になるかならないかが違ってきます。
 人間は、経験から様々なことを学びます。子どもだけではなく大人もそうです。また実際に自分自身が体験したことのないことからも学びます。歴史や古典を学ぶのにはまさにそういう目的があります。
 経験には、成功もあれば失敗もあります。うまくいったことから学ぶこともありますが、どちらかといえば少々痛い目に遭った失敗の方が強い印象を持つことから、失敗から得られる経験の方が多いような気がします。
 ノーベル賞を受賞した科学者が異口同音に「失敗してもあきらめずにやり続ける」と発信したり、先の「失敗は成功の元」という言葉があるのもうなずけるところです。
 未然に危険を防ぐのが杖の役割ならば、役に立つ杖を作るためには何が危険で何が危険でないかを知っておかなければなりません。これが「経験」です。
 的にボールを当てるゲームがあります。何度か繰り返してチャレンジしているうちに、力のいれ具合や腕の角度を学んで上手くなっていきます。
 このゲームで、後ろ向きにボールを投げるルールがあるとしましょう。しかも1回ごとに的に当たったかはずれたかを投げた人がわからないようにします。
 100回投げます。すべて投げ終わった後、10回的に当たったと結果を教えられたとして、それははたして何かにつながるものでしょうか。
 目的達成に向けてなされる試行錯誤には意味がありますが、やみくもに行う意味を持たない行為は成功も失敗も偶然のことであって再現性は低いものです。
 自分が持つ杖は自分自身の経験と想像にもとづいて自分自身が準備するのが望ましいのはいうまでもありません。想像がおいつかないような危険なものは年長者や経験者の力を借りる必要があることもありますが、多くの場合は、成長にともなってそれなりの「杖」を自作するようになっていきます。
 失敗を恐れる生徒がいます。この気持ちの度が過ぎると、できないことやわからないことを隠そうとします。
 「失敗しても良い。間違えても良い。適当に取り組んでの偶然のマルよりも、意識して意味を考えて取り組んだ失敗のほうがはるかに価値がある」ということを教室では何度も何度も訴え続けます。訴え続けることが仕事だといえるほど言い続けていますが、同じことを言われ続けなければならない生徒の気持ちになると少々気の毒になることがあります。
 過去何回か塾報で触れてきましたが、そろばん教室は生徒の皆さんがたくさん失敗をする場所です。計算方法を学んだ後は検定試験や大会に向けての日常の練習で「そのとき持ち得ている最高のスピードで計算しつつ完全な正確性を保つ」ことを目標に取り組みます。口で言うのは簡単ですが、そんなことがいつもできるわけがありません。たくさん間違えては悔しい思いをします。
 しかし、きちんと向き合った結果への悔しさは、必ず自分自身の「杖づくり」に生きてきます。指導者が先回りしてあてがう杖なんてものは、自分自身が作り上げた杖に比べれば中身はスカスカで一時的なものです。
 誰かに教えてもらえる時間に比べて答のない問いに自分自身が真正面から向き合わなければならない時間の方がなんと長いことでしょうか。
 教室では、「杖づくり」の準備や実践を行っています。生徒の皆さんが持ち合わせている杖の分量や材料はまちまちですが、それぞれの分量を増やし、材質を強くしなやかにするように取り組んでいます。私たちは教材を作り、練習内容を組み立て、具体的な指導やバックアップ、励まし、見守りなど、生徒の理解度、意欲、関心に応じて関わり方を決定していきます。
 同じ失敗をしている生徒複数人に対して個々に異なる指導をする場合がありますが、間違いの発生に関わる知識量や意識に違いがありますから、同じ指導で乗り切ることはできません。生徒が杖を作る貴重な機会を画一的な指導で奪ってはならないのです。教室での取り組みはすべて将来への準備作業を目指しています。

 「転ばぬ先の杖」。大切な言葉ですが、その意味は少々考える必要があります。過保護になりすぎることで、子どもの成長を妨げることもあるというおそれを忘れないようにしたいものです。 

2026.03.24

「かまえ」の大切さ(塾報3月号より)

 先月号では「5」の書き順について触れました。「家でいきなり5を書かされた」と話す生徒がいましたから、早速確認されたご家庭もあったことでしょう。
 今月は「かまえ」について触れてみようと思います。先月と重なる部分もありますが、大切なことなのでしばらくおつきあいください。
 そろばんの練習や勉強に取り組むとき、すぐに問題を解き始めることも大切ですが、その前に「かまえ」を整えることは、実はそれ以上に大切なことです。
 「心構え」とは、物事に向き合うための心の準備のことをいいます。
 この準備ができているかどうかで、その後の集中力や取り組み方は大きく変わってきます。
 たとえば、勉強を始める前に鉛筆を削る、机の上を整える、忘れ物がないか確かめる――こうした一見小さな行動は、単なる準備ではなく、「これから学ぶぞ」という気持ちを整える大切な時間です。武道の世界でも「かまえ」は最初に学ぶ基本であり、いきなり動くのではなく、まず自分を整えることが重視されています。
 こうした「かまえ」が整うと、不思議と心も落ち着きます。そして、目の前のことにしっかり向き合うことができるようになります。逆に、準備をおろそかにすると、どこか気持ちが散らばり、集中しきれないまま時間だけが過ぎてしまうこともあります。
 「かまえ」は特別なことではなく、日々の積み重ねの中で育っていくものです。毎回同じように机を整え、同じ姿勢で取り組むことで、自然と「今は勉強の時間だ」と心と体が切り替わるようになります。この習慣は、勉強だけでなく、将来さまざまな場面で役に立つ力となります。
 さらに、「かまえ」がある人は、予想外のことにも落ち着いて対応できるようになります。あらかじめ心の準備ができていることで、困ったときにも慌てず、自分なりに考えて行動できるからです。
 子どもにとっては、鉛筆を削ることや持ち物を確認することは、ただの面倒くさい作業に見えるかもしれません。しかし、その一つひとつが、「物事に丁寧に向き合う姿勢」を育てています。小さなことを大切にする力は、やがて大きな挑戦に向き合うときの土台になります。
 だからこそ、練習の前のほんの少しの時間を大切にしてほしいのです。静かに心を整え、「よし、やろう」と思える状態をつくること。それが、学びを深くし、成長へとつながっていきます。
 「かまえ」は目に見えにくいものですが、その人の中に積み重なっていく確かな力です。小さな準備を丁寧に行うことが、未来の大きな力になる――そのことを、ぜひ大切にしていきたいものです。

2026.02.25

5の書き方(塾報2月号より)

 数字の5。たかが「5」ですが、されど「5」で、少し考えることがあります。
 5の書き順を間違えている生徒をたまに見かけます。
 間違いを見つけるたびに指摘し、直らなければ練習前にも注意すべき事柄として伝えることがありますが、それでもなかなか直りません。正しい書き順で書いても間違えた書き順で書いても、できばえや工程に違いがないためでしょうか。
 お子さんが数字の「5」の書き順を間違えているのを見つけたとき、「まだ小さいから大丈夫」「読めれば問題ない」と思われるかもしれません。けれども、こうした小さな基礎基本の積み重ねは、実はその後の学びや姿勢に少なからず影響を与えることがあると考えます
 数字の「5」は、たった二画です。しかし、正しい書き順で丁寧に書こうとする経験は、「決まりを守る」「順序を大切にする」「面倒でもきちんとやる」といった姿勢を育てます。これは単に字を上手に書くためだけの練習ではありません。物事には順序があること、基本を大切にすることが、自然と身についていく大切な機会なのです。
 学習はすべて、基礎の上に積み重なっていきます。算数でも、国語でも、スポーツでも同じです。土台がしっかりしていれば、その上にどんなに高い建物を建てても揺らぎにくくなります。反対に、土台があいまいなまま進むと、どこかでつまずきやすくなります。数字の書き順という一見小さなことも、「基礎をおろそかにしない」という心の習慣を育てる大切な土台の一つです。
 また、小さな約束を守る経験は、自分との約束を守る力にもつながります。「正しく書こう」「もう一度やり直してみよう」と思える子は、やがて「最後までやり抜こう」と考えられるようになります。こうした姿勢は、将来の学びだけでなく、仕事や人間関係においても大きな力となるでしょう。
 もちろん、厳しく叱る必要はありません。大切なのは、親が穏やかに「こうやって書くんだよ」と伝え、できたときにはしっかり認めてあげることです。子どもは、認められることで自信を持ち、もう一度挑戦しようという気持ちになります。繰り返しの中で、正しい形と順序が自然と身についていきます。
 子育ては、特別なことの連続ではなく、こうした日々の小さな積み重ねの連続です。数字の「5」を丁寧に書くことも、その一つにすぎません。しかし、その小さな一歩が、「基本を大切にする人」に育つきっかけになるかもしれません。

 小さなことを大切にする姿を、親が根気よく示していく。その積み重ねが、子どもの未来を静かに、しかし確かに支えていくと思います。 

2026.01.26

言霊(塾報1月号より)

 体が食べたり飲んだりしたもので作られるように、心は言葉によって作られる側面があります。
 「考えは言葉となり 言葉は行動となり 行動は習慣となり 習慣は人格となり 人格は運命となる」これはイギリスの政治家で同国第71代首相のサッチャー氏による有名な言葉です。自分自身が発する言葉で人が作られていくことをわかりやすく伝えています。
 また、自分以外の人間の言葉によっても心は作られていきます。否定的な言葉ばかりをぶつけられて一生を過ごす人と、正しい評価に基づいて肯定的な言葉をたくさん浴びて一生を過ごす人とでは、心の持ちようはずいぶんと違うものになります。
 子どもたちは、自分はどんな人間なのか、どんな価値があるのかを自分自身の言葉や行動、あるいは周囲のそれらを基にして作り上げていきます。そういった意味において、言葉は心の成長のための栄養素になります。
 日本には古代から「言霊」という考え方があります。言葉には魂が宿り、発した言葉どおりの現実を引き寄せる――そんな思想です。迷信のように聞こえるかもしれませんが、子育ての中では、この言霊の力を実感する場面がたくさんあります。
 私たちは毎日、当たり前のように言葉を使っています。
「おはよう」「いってらっしゃい」「早くしなさい」「どうしてできないの?」「あなたならできるよ」「失敗しても大丈夫」
「よく頑張ったね」「いったい誰に似たの」「あ~あ」
 完璧な人間などいませんから、言わなくてもいいことを言ってしまって失敗することは誰しも経験することです。励ましたつもりが全く伝わらず反感を買うことだってあるかもしれません。
 人間は見た目で決まるものではないと励ますつもりの「人間は顔ではない」と言うべきところを「人間の顔ではない」などと言おうものなら今後百年は口をきいてくれないでしょう。たった一文字の言い間違いが場を修羅場と化すのです。
 言葉は時にどんな寒さをも防ぐ暖かい毛布のような役割を持つこともあれば、強烈な刃となって他者を傷つける凶器になることもあります。他者だけでなく自分自身に向くことすらあるものです。
 昨年10月号の塾報では『発言』についていくつか例を書きました。具体的な言葉だけではなく、生徒の答案にも表情にも発言があるというものです。
 挑戦する気持ちがこもった『答案発言』や、最高の力を出そうと集中する『表情発言』。これらの発言にも「言霊」の思想はきっちりと息づいています。
 すべての生徒のすべての答案に目を通しますが、答案は雄弁に語ります。時に、生徒自身の感想よりも真実を語る場合すらあるほどです。表情にいたっては言うに及びません。真実でないことを口に出しているときは、手は落ち着きなく動き視線は合いません。反対に最高点を出したときは、私とずいぶん距離があっても「最高点オーラ」を感じるものです。毎日毎時間、前向きな答案や表情を続けていれば「言霊」の影響は計り知れないでしょう。
 今年も子どもたちが失敗を恐れることなく安心して一歩を踏み出すことができる場所作りを目指していきます。その決意を言葉にし、私も「言霊」の力を信じようと思っています。

2025.11.25

大阪一決定戦(塾報11月号より)

  11月23日、大阪商工会議所において『令和7年度そろばん大阪一決定戦』が行われました。結果は二面に掲載しています。
 この大会は一般社団法人大阪珠算協会の主催で、60年以上にわたって開催されています。規模も歴史も日本有数の大会です。 この大会は他の大会との比較で言えば、問題の桁数や制限時間の難易度が容易に設定されています。そのため、多くの参加者にとって取り組みやすく、練習でも本番でも常に満点を意識することになります。
 制限時間内に全問題を見直す(検算する)ことができれば、そしてできれば1回目の計算方法とは異なる方法で検算ができれば満点を獲得する確率は高まります。種目によっては2回以上検算できる場合もあり、そんな場合はさらに異なる計算方法で検算をします。
 また、全問題を検算できる速度でできないときや、途中で間違いが見つかってその問題に時間を費やした結果見直す題数が減ってしまうときは、別の有効な残り時間の使い方を考えなければなりません。
 さらに、易しいからといって集中力が途切れたまま検算をしていると、間違いに気がつかないことがあります。「見えているけれど意識に入ってこない」のです。漫然運転のような状態です。
 全力で計算しても全問題解答できないような場合は、実は考えなければならないようなことは少なくて、たいていはひたすら最後まで全力でやりぬくことが課題であり目標になります。
 しかし大阪一決定戦のように、時間が余ったりミスが許されないような場合は、目的意識を明確にもって作戦を立て、練習を重ねていく中で作戦の妥当性を確認したり作戦変更を繰り返します。
 生徒の能力や年齢によって意識の高低強弱に違いはあります。作戦の立案や遂行についても違いはあります。
 私たちは、他者との比較においてこの違いについて評価をすることはありません。「○○さんと比べてどうだ」とか「お兄ちゃん・お姉ちゃんはこうだったのに」などと言ってみたところで、無意味です。そもそも皆違います。環境も違います。同じ家族だといっても、長子かそうでないかとで生まれたときから家族構成が違います。
 私たちが行う評価は、生徒個人の意識に違いが出てきているかに尽きます。作戦を実行しているか、結果を考察しているか、対策を考えているか、悪い結果に甘んじていないか、良い結果に自惚れてばかりいないか。
 長幼は無関係です。幼稚園児であっても一日前とは別人、という例は多々あります。
 意識の変化は行動の変化になって現れてきます。良い変化は周囲にも好影響を与えます。あえてその変化を私から周囲の仲間に広めることもあります。
 意識が悪い方向に向いたときには、個別に呼んで指摘・指導をします。本人が納得するまで時間をかけるかどうかはケースバイケースです。頭ごなしに言う場合もあれば、同じ目線に立って正対したり横や後ろに立ち位置を採る場合もあります。これもケースバイケースです。
 大会は結果の扱いが大きいことからどうしても結果を重視しがちになりますが、教室として大会出場を推奨している理由は、大会の練習を通じて能力の伸びを見込むことができることにあります。
 今月号では、数ある大会の中から『そろばん大阪一決定戦』の意義について書いてみました。
 閉会式終了後、小学生1部の選手たちが賞品でいただいたお菓子を分けていました。その際、体調不良で大会を欠席した選手の名前が誰からともなく出てきて、その選手の分もきちんと分けられていました。一緒に練習してきた仲間への心遣いが自然に育ってきていたことは同じ時間を共有してきた私たちスタッフにとっても大きな喜びです。
 小学4年生以下の部で大阪一に輝いた三島良太選手。大会では中高生部門で3年連続大阪一を獲得した下川原空良選手とともに同点決勝を制しました。
 大会に向けての練習では下川原選手と2人で決勝練習に取り組む機会もありました。先輩から良い刺激をいっぱいもらえたことでしょう。

ACCESS{アクセス}

教室名 星の郷総合教室
所在地 〒576-0022
大阪府交野市藤が尾4-6-10
電車の場合 JR片町線星田駅、または、京阪電車河内森駅から徒歩15分
自動車の場合 第二京阪道路交野南インターチェンジから5分、交野北インターチェンジから10分
国道168号線西川原交差点を西に入り、1分